体験を味わう、ということ。

大切な考え方

毎週水曜配信のメルマガ『週刊・心のコソ練』第372号(2023/06/14配信)のテーマが印象的だったので、抜粋・再構成して、ブログでもシェアしてみます。

 

本質は笑っちゃうくらい変わらない。

2011年からFC2で書き続けたブログを、2019年アメブロにお引越ししました。

その際、カテゴリの設定や、ページ内リンクがすべてリセットされてしまいました。

 

手直しに着手しては心折れ、また着手しては心折れ…を繰り返すこと数回。

何回目かの手直しに着手しています(笑)

 

過去記事を読み返してしみじみ思うのは、

本質は笑っちゃうくらい変わらない、

ということ。

自分自身や周りの環境、仕事の内容・役割が変わっても、やることはずっと同じです。

 

私たちの思考(≒自我)は、私たちが思う以上に気まぐれです。
そして飽きっぽい。
慣れてくると「もうわかった」と言わんばかりに、放りだそうとします。

私たちは心の底で、そうした思考の性質を熟知しているのでしょうね。

だからこそ、本質的には同じことを、手を変え品を変え言葉を変えながら、飽きないように続けているのだと思います。

 

 

本質は同じだが、体験は毎回違う。

一方で、やることはずっと同じなんだけど、やった「後」で受け取れる体験は、その都度違います。

「実際にやってみて」、そのときに受け取った体験を洞察すると、そこではじめて、自分の変化や進化を実感することができます。

 

洞察を重ねるたび、何かを受け取る感性(≒感受性)は、きめ細かくなっていきます。

昔はまったくわからなかったことがわかるようになったりするんですよね。ここは本当に面白いです。

 

 

体験の意味がわかるのは、それを言語化したとき。

私たちが「何かを受け取った」と認識するのは、その体験を洞察し、結果を言葉にしたときです。

自分の体験を言葉にする習慣のない人は、実際にはいろいろなものを受け取っているはずなのに、それらをほとんど認識していないと言えるでしょう。

 

そういう人に
「最近どんなことがありましたか?」
と質問すると、

多くの場合、
「特に何もありません」
「話すようなことはありません」
という答えが返ってきます。

 

 

今感じていることに目を向けよう。

「自分の毎日には特に何もない」と思うときはたいてい、何もないのではなく、日々の体験をちゃんとあじわっていません。

もしくは、あまりにも忙しすぎて、「それどころじゃなくなっている」。

 

自分で自分が何をやっているのかわからなくなるくらい忙しい。

…この状態は、なんなんでしょう?(笑)

 

かつて会社勤めをしているときは、この状態になんら疑問を感じていませんでした。

対して今は、奇妙でしかないと思っています。

 

うちに来てくださるのは、基本的に忙しい人たちです。

実際問題、繁忙期は仕事量を減らすのが難しいときもあるでしょう。

 

そんなときは、ほんの数分でもいいから、自分が今感じていることに目を向けてみましょう。

その数分もしくは2~3分で、心に栄養がチャージされます。

自分を見失う事態も防げます。

 

 

体験を味わうとは、アウトプットすること。

話を元に戻しましょう。

体験を味わう…とは、頭のなかや心のなかで思いを巡らせることではありません。

 

自分が再インプットできる形で、アウトプットすることです。

つまり、話すこと・書くこと・表現すること。

自分の外に出してみて、もう一度見たり聞いたりしたときにはじめて、自分の体験を洞察できます。

自分にとってその体験はどんな意味があったのか、その体験から何を受け取ったのか、理解することもできます。

 

 

伝え、教えることで、もう一度受け取れる。

体験を通して自分が受け取ったものは、「意図をもって」他の誰かに伝えたり、教えたりすることができます。

ここでもう一度、受け取ることができます。

他人に伝えることで、自分が何を受け取ったのか、さらに深く理解できる、というわけです。

 

『奇跡のコース』にはたびたび、与えることで受け取る…という言葉が出てきます。

自分がそれを持っているからこそ、誰かに与えることができるんですよね。

実際に与えたときに、それが理解できる、という仕組みです。

 

 

アウトプットの形は何でもオッケー。

私はたまたま文章としてアウトプットしていますが、誰かと話すだけでも、十分効果が期待できます。

頭の中がごちゃごちゃになっているとき、誰かに話をするだけで、頭のなかがスッキリしませんか?

 

頭がスッキリするという状態は、よく味わうことで、その体験が終わったことを意味します。

自分のなかで未消化だった体験の数々が、他人に話すことで消化され、腑に落ちていった、というわけです。

 

 

食事を味わうように、体験を味わう。

体験を味わうことは、ある意味、食事に似ています。

 

単に食べただけ、食べたという認識すらないときは、その食事はあなたに何の影響も及ぼしません。

食べてはいるけど、よく味わっていないときは、文字通り消化不良。身体のどこかに違和感が残ります。

楽しく食べ、美味しく味わった食事は、心身を満たしてくれます。そして、必要のないものは自然に身体の外へ出ていきます。

私たちの日々の体験も、食事と同じです。

 

私たち一人一人の毎日にはそれぞれ、ベストなタイミングで最善の体験が用意されています。

ほんの少しでも時間を作って、自分の体験をアウトプットして味わうと、それらがすべて、自分を楽しませ、自分を導いていくれている、と理解できるでしょう。

私たちが本当に望む「幸せな人生」は、そんなふうにして創られていきます。

 

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なおちん

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