出会う人はみな、本来の自分か、過去の自分。

大切な考え方

心のコソ練の背景には、10年以上実践し続けている『奇跡のコース』の世界観があります。

この記事では、コースの世界観から、他の人とどう関わるかについて、ひとつのご提案をしてみます。

 

目の前の人は、誰なんだろう?

まずは、『奇跡のコース』の一節をご覧ください。

あなたはいつも自分自身と遭遇するのであり、あなたは神聖なのだから、そうした出会いは神聖だと聖霊は教えている。

自我は、あなたは常に自分の過去と出会うのだと教え、それにあなたの夢は神聖ではなかったので、未来が神聖であるはずがないし、現在に意義はないなどと教えるのである。

田中百合子さん訳 『奇跡の道』より

 

この世界で出会った人を聖霊と一緒に見るならば、その人は他の人の顔をして現れた本来の自分だ、と見て取れます。

一方で、自我と一緒に見るならば、その人は、別の人の顔をした過去の自分、ということになります。

 

そういう意味では、私たちが出会う人は誰であれ、本来の自分か、過去の自分だと言えるでしょう。

私は、そう理解しています。

 

 

「この人は私だ」が転機のはじまり。

もうずいぶん前になりますが、SEとして組織で忙しく働いていた頃は、自分の周りには「困った人」がたくさんいました。

「困った人」のフォローをしなきゃいけないから、私はこんなに忙しいのだ。

本気でそう思っていました。

 

ふとしたきっかけで、その「困った人」たちはみな、自分自身だと気づきました。

それをきっかけに、次々と気づきが訪れて、私の目に見える世界は根本から変わりました。

 

そのときのことは、アメブロの記事でふり返っています。

興味がおありの方に見ていただければ、と思います。

 

結果論ではありますが、「この人は私だ」という気づきが今の仕事につながったのだな、としみじみ思います。

この体験と気づきがなかったら、こんなにも深く『奇跡のコース』に関わることもなかったでしょう。

「この人は私だ」という気づきは、私にとって、転機のはじまりになりました。

 

 

いつだって「過去の私」が現れる。

SEを辞めてからは、会社でよく見たような「困った人たち」に会うことはなくなりました。

そういう形で、過去の私に会うことはなくなったわけですが…

今は、「かつての自分が目の前に現れはじめている」という人たちにお会いします。

それもまた、過去の私です(笑)

 

「うっわ、これも自分だ!」と笑えれば、過去の自分に出会うのは、かなり楽しいプロセスになります。

一方で、自分のなかの「正しさ」や「弱さ」を許す気になれない人、不安や怖れを「一掃したい」と考え続ける人は、ちょっとキツイかもしれません。

清く正しく生きたい人も、同様です。

 

そうしたみなさんはきっと、今目の前にいるダメダメな他人・不安にまみれた他人・清くも正しくもない他人が、実は過去の自分だ…なんて、思いたくないでしょうから。

 

試しに、ほんのちょっとでいいので「この人は私だ」と思ってみると、根本的なブレイクスルーにつながります。

そうやって、ほんの少しだけ自分の考えを引っ込めてみることで、『奇跡のコース』でいう聖霊、一般的な表現でいう天の采配が働くからです。

 

ちなみに、目の前の人が表現してくれている、ダメダメな姿・不安にまみれた姿・清くも正しくもない姿は、どれも本当ではありません。そこに見た「過去の自分」もまた、本当ではないんです。

だから安心して、試しに、ほんの一瞬だけ「この人は私だ」と思ってみるだけで十分です。

そうすることで、過去の自分に対する認識も、今目の前にいる人に対する認識も、同時に「訂正」されます。

 

このコソ練メニュー、個人的には超おすすめなんですが、地味に不評です。

折に触れ何度も提案しているけど、本気でやる人がホント少ない。

それでも飽きずに(笑)、折に触れご提案しています。

 

とはいえ、最終的にはこれも、聖霊の働き・天の采配によるものだと思います。

私はたまたま「この人は私だ」という気づきが転機になりましたが、すべての人がそうとは限りません。

機が熟せば、その人にふさわしい方法で癒しや許しが起こるから大丈夫です。

 

 

他の人に差し出すものは、自分自身に差し出すもの。

いろいろな人を見ていますと、人生には何度か、集中的に過去の自分と再会し続ける時期があるように思います。

他の人の仮面をかぶって現れた「過去の私」に、許しと信頼を差し出すことで、その人と同時に「過去の私」も癒されます。

他の人に差し出しているものはすべて、自分に差し出しているものなんですよね。

ですから、その人のおかげで、自分自身にも許しと信頼を差し伸べることができます。

 

許しと信頼を思い出すために、過去の自分が現れてくれるように、可能性と信頼を思い出すために、本来の自分が他の人の仮面をかぶって現れることもあります。

こう書くと、過去の自分の仮面と、本来の自分の仮面は、それぞれ別の他人がかぶっていそうですが、実はそうでもありません。

 

自分が思う「過去の自分」は、幻想の塊です。

それが幻想だとわかれば、同じ人の姿を通して、本来の自分が見えてきます。

そういう意味でも、試しに「これも私だ」と思ってみると、面白い体験ができます。

 

 

出会い直すことで、過去は祝福に変わる。

過去の自分が集中的に現れる時期というのは、その人にとっての転機であることが多いように思います。

今の仕事を通しての経験則ではあるのですが。

 

他の人の仮面をかぶって現れた過去の自分と出会い直すことで、その過去が終わっていくのでしょうね。

同時に、その過去から受け取った幸せな知恵だけが、今後の人生で再利用されていくのだと思います。

 

最後に、もう一節、『奇跡のコース』の文章をご紹介します。

私がとっても好きな文章のひとつです。

過去のできごとはその美しい点をのぞいてみな過ぎ去ったのであり、残っているのは祝福だけである。

私はあなたがだれかに親切にしてあげた時のことをみな取っておいたし、あなたの抱いた愛のこもった思いは一つのこらず取っておいた。

こうしたあなたの心遣いを、それにともなう光を隠していた間違いから清めたうえで、あなたのためにそうした心遣いそのもののこの上ない輝きのなかに保っておいた。

田中百合子さん訳 『奇跡の道』より

 

 

私が読んでいる訳のご紹介

2006年に『奇跡のコース』の存在を知ってから、ずいぶんと長い時間が経ちました。

まさか、自分がクラスを主催して、仲間と一緒に実践するようになるとは、思ってもいませんでした。

かつてPDFファイルで譲っていただいていた田中百合子さんの訳が、電子書籍で読めるようになったのも感慨深いです。

 

これもまた経験則なのですが、『奇跡のコース』に取り組む人は、まるで導かれたかのようにコースに出会っていきます。

この記事がきっかけになるかもしれませんので、私がずっとお世話になっている田中百合子さんの訳をご紹介しておきます。

 

シンプルな日本語訳です。
kindleUnlimitedで読めます。

 

英語の原文が併記されたバージョンです。
英語に堪能な方は、原文の表現を見ることで、シンプルに理解できることもあるようです。

 

長文へのおつきあい、ありがとうございました。

ご縁のある方のお役に立てれば幸いです。

 

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なおちん

なおちん

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