誰かの発信のなかに信頼の証拠が見つかる。
パソコンを新しくしたことをきっかけに、メールをチェックと同時に、不要なメールを削除している。
読みたいと思うメールに目を通すと、自分の背中を押してくれる言葉がちゃんと書いてある。
心の中にある思いを、別の人が言語化してくれるのは、本当にありがたい。信頼が二人分になる。
しみじみ、自分の目に何を見せていくか、ちゃんと選ぼうと思う。
■今日の仕事 2022/01/22
▽このブログ
「自分スペシャリスト」固定ページ制作。
「心のコソ練」ヘッダ画像挿入。
朝イチの静かな時間に作業をしたくて、何から手をつければいいか、龍さんに尋ねる。
このブログのキーワード「自分スペシャリスト」の説明が、するすると30分で書きあがる。
会社のHPに書いたときもそうだった。
「自分の」「思考」でひねり出そうとしても、まったくしっくりこなかったのに、チャネリングモードで書くと一発だ。
最近は、あとで音声を録音することを想定して、文章を書くことが増えた。
今日もそんな感じで書いていたら、途中でふと気づく。
「気を込めて」伝える文章と、音声でも伝えられる文章は別ものだ、と。
以前、オンラインスクールのレクチャーを作っているときに、うっすら感じていたことを思い出した。
私の場合、文章だけで伝えるほうが効果的な場合があるようだ。
じっくり読んでいただきたい部分と、声による解説でつかんでもらいたい部分を、意識して分けるようにしよう。
私の場合は、やみくもに文章を使いまわすより、用途を分けて作るほうが気が楽みたいだ。
…すごいなあ。
できることがたくさんあるし、工夫の余地もたくさんある。
ここに手間をかけていきたいんだ、という気持ちもある。
それでいいんだ、と言ってくれる情報が目に飛び込んでくる。
直接誰かと話さなくても、自分の日々と取り組みと、誰かが発信してくれた情報で、生き方が育っていくんだな。
そうやって機能するコースを私も作ろう。